職場に限らず、この世はつくづく生きづらいところですね。

それは昔も今も変わらないようです。

シャバと言う言葉がありますね。

漢字にすると「娑婆」

もともとインドの言葉だそうですね。

意味は、「堪忍土」というそうで、堪忍しないと生きていけない世界だそうです。

出来ぬ堪忍、するが堪忍といわれ、ガマンできることをガマンするのは当たり前。

ガマンならんことでも耐え忍ぶことを堪忍というのですね。

その苦しみの世界に生きているのが私たちだと仏教で教えられているのだと、親鸞会で仏教を聞いている友人が言っていました。

そう思うと逆に少し肩から荷がおりた感じになりました。

どうして私だけ!という思いが余計に自分を苦しめていたようです。

この世を諦観できるようになったらいいのかも知れませんね。



職場でのいじめは、日常化する場合が多いのでやっかいです。

ストレスのはけ口と考えているのか、いわれのないイジメを受けるのはやりきれません。

ただでさえ仕事で疲れているのに。

根本的な解決ができればベストですが、なかなか難しい場合は、気分転換や、心の持ち方をかえる工夫も大事でしょうね。

実際以上に自分で自分を苦しめてしまうことがありますから、自分を大事にしていきましょう。



職場いじめについて、なかなか相談は難しいもの。

やはり、人間としてまじめで懐の深い人とでないと、いい展開はのぞめない。
この前も、ふれましたが、親鸞会という集まりで話を聞いている人に相談しましたが、やはり仏教を聞いている人は違うなと感じました。
東日本の大震災でも、外国人が驚くマナーのよさ、精神力の強さの根底には、仏教の思想があるともいわれます。

私も日本人ですが、恥ずかしながら仏教についてはほとんど知識がなく、仏が何やら菩薩がなにやら知りません。

そんなことを学んでいくと、いじめの問題も、なんだか軽くなっていくような気がする今日このごろです。



前回、職場いじめについて浄土真宗の親鸞会で話を聞いている人に相談してもらったことについて少しふれました。
仏法者のふところの深さというか、人間味の深さというのに、ちょっと感動しました。
なんというか、自信を感じます。
ただ「私はこう思う」「私はこう考える」ではなくって、「お釈迦様はこう教えているんだよ」「親鸞聖人が書かれたものには、このような言われているよ」と根拠をもって教えてくれたので、安心して聞くことができました。
考えてみれば、日本人でありながら、仏教にあまりに無知だったなと反省させられた。


職場いじめについて浄土真宗の親鸞会で話を聞いている人に相談してもらった。
まず関心したのは、その人が、ひたすら私の愚痴を聞いてくれたということだ。
これは正直とても助かった。途中で、すぐ意見をいい始めたり、さえぎったり、否定されたりすると、どんなに的確なアドバイスでも受け入れる余裕がないから。
話を聞いてもらえた、それだけでもとても有り難い。
その懐の深さも仏法聞いているからだろうか?


いやあ、あいかわらず職場いじめはひどいのだけれど、思い切って相談したら、話をうんうんと聞いてくれて、気づいたら6時間!いい人っているもんですなあ。そのひとは、仏教を勉強している人で、浄土真宗の親鸞会というところで聞いているらしい。なんだか他の人と感じが違うんだよね、いい意味で。どんな話をきいたか、またここに書くことにしよう。



いやあ、ごめんごめん、すっかり更新さぼってました☆ 職場いじめの内容って、こちらのテンションで書けたりかけなかったりするんだよね。だから、まあ、いたしかたなし(こればっか・笑)。さてさて、職場でいじめがあるとほんと地獄ですな。だって毎日のことだもん。そもそも、働くってことだけでもしんどいのに、ここに人間関係が入ってきたらダブルパンチだもんね。かんべんしてよって感じ。そこで、いろんな人のところで愚痴ってたら、ある人が、すごくウンウンわかるわかるって感じで親身に聞いてくれてね、そしたら私も調子にのってどんどん、ふつうはそこまで話さんだろ~ってところまでも話てねそしたら、なんか少し泣けてきちゃいました。涙のカタルシス。それにしても、話を聞いてもらえるだけでこんなに救われた気持ちになるもんなんですね。びっくりするくらい。たまには誰かの話、じっくり聞いてやろうかなーなんて思っちゃいましたよ。大分、元気になった証拠かもね。



なんだか年末から年始にかけて、バタバタ忙しくって、ブログをさぼっちゃった。なんか、時間ってあっという間。年末年始は実家で過ごせたから、まぁ、よし、としよう。1年半ぶりだったな。お父さんもお母さんも、老けちゃったなぁ……、なんて思って。ちゃんと孝行しないとね。職場でいじめられてること、ってなかなか言えない。「元気なの?しっかりやってる?」なんていわれると、つい「大丈夫だよ。心配いらないから」なんて答えるけど、そんなこと言うから心配かけちゃうのかな?自分から会社のこと、語ったほうがいいのかな?難しいね、親子の会話って。いじめは、年末の忘年会にもあった。忘年会でいじめられたんじゃなくて、そもそも、忘年会の参加の確認さえ受けなかった。初めてのことじゃないから、「まぁ、いいや」って思ったら、前の年よりも気持ちはラクだったかな?新年会は、この不景気のご時世で、はじめからなかった。そんなことやってられないくらい、バタバタ……。忙しいはずなのに、職場での私へのいじめは忘れないんだよな。「死ね」と書いた紙が机の上に何枚ものっていたり、しかも、一人が書いたのか、わかんないけど、わざと筆跡を変えて、大勢で書いたみたいな……。年始からご苦労さん、って感じだよね。ま、こんなこと書いてるとさ、心が荒んじゃうから、これくらいにして、最近、おもしろくてたまんないブログ、ま、面白いってわけじゃないけど、フツーの人から見たら、「オタク」って思われるかも。この親鸞会ってとこのブログ、読み応えあるわ。うん、これイイ!でも、ネットだとけっこういじめられてる?そこが私と似てるのかな?うんうん、よしよし、応援するぞ!



すっかり秋だなぁ、と衣替えを済ませたイチョウの木を見て思ったりする。職場でのいじめは、続いている。挨拶は無視されて当たり前。ムカついて挨拶しなかったら、後で呼び出されて、文句言われた。私の机の上は、ゴミ箱じゃないんだよ、と言いたいくらい、ちょっと席を立っている間にゴミを置かれる。周りも何も言わない。見てみぬふりなんだろうな。まぁ、もう慣れたけど。何を考えているんだろうな、と思うけど、気晴らしの一つなのかもしれない。親鸞会のホームページで、最近、歎異抄のことがよく載っている。歎異抄って、たしか高校生のとき、日本史か何かで習ったな……。よくわかんなかったけど。でも、けっこう有名な本みたい。本屋に行ったら、いろんな本が出ていたけど、とりあえず、難しいことだけはわかった。私には無理っぽい。でも、仏教って、勉強してみると面白いかも?現実離れした感じがしてたけど、ホームページに書いてあることを読んでくと、今の私のことを言われてるみたいな気がする。昔の人は、すごいこと教えたんだなぁって思ったよ。現代って、そんな人、いるのかなぁ?昔って、職場のいじめってあったのかなぁ……。なんか、ぜんぜん違うこと考えたりしてる私。そもそも、昔のインドに職場ってあったの?いじめってあったの?わけわかんない。でも、仏教って、すごく現代に大切なことが教えられていることは何となくわかる。もっと学んでみたい。



職場でいじめにあって、いろいろ悩んだりしたけど、ちゃんと相談したことで、気持ちの整理ができたんだな、と思ってます。
親鸞会に感謝だな、って思います。
心の支えになるものを持つことは、とても大切なんだ、と実感してます。そして、コミュニケーションも。いじめを受ける職場の人たちとしか関係がないと、本当に気が滅入るし、落ち込むばかりでした。考えても見れば、世の中、人だらけで、いくらでも新しい出会いや交流が待ってる。いじめられているとき、外の世界にぜんぜん目が向かなかったけれど、それが不思議なくらいに今は心がオープンになっている。親鸞会のホームページを読んで、心にゆとりが持てるようになったからなのかな?気持ちにゆとりが持てると、今度は態度にもゆとりが持てるようになった。これがいい方向に作用しているのかもしれない、と今は思ってる。職場でのいじめは、まだあるけど、これまでの惰性みたいな感じで、今は耐えられる。何だか、自分でもおかしいなと思う。自分って、こんなに強かったかな?というくらいの気持ち。職場に存在意義を求めるんじゃない。生きている私、今を生きる私の存在意義が、持てるようになってきたのかな、と最近考えたりもしています。なんだろうな、こんな感覚は今までになかった。いじめは、本当につらかったし、思い出したくもないけど、今、何かをつかみかけていて、それが何だか、まだ言葉にならないけど、いじめがきっかけだとしたら……。そんなことを思う今日この頃です。



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